僕の名は靖麻呂

高校生 政治厨 軽度の神経衰弱

クリスマスの謎

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 今更ながらメリークリスマス。皆様は楽しいクリスマスをお過ごしになられましたか。わたしは恋人もなく、家族もそこまでクリスマスに拘っていないので、特にこれといって変化のないクリスマスでした。

 さて、ところでクリスマスとは何の日なのでしょうか?なぜ十二月二十五日に、サンタは子供たちにプレゼントを配送するのでしょうか?なぜ恋人たちがイチャイチャするのでしょうか?なぜアルバイトは著しく忙しくなるのでしょうか(by経験者)?

 多くの方はこの疑問を鼻で笑い、このように答えられることでしょう。

「イエスの誕生日だからだぜ」

 二千余年前、かつて救世主(キリスト)として中東の人々を愛の道へ導いたイエス。クリスマスは彼の生誕を祝う日であるというのが常識です。

 しかし、この常識は間違いであろうと言えます。論理的に考えて、十二月二十五日がイエスの誕生日であると考えるのはかなり困難です。それではクリスマスとは一体何なのでしょうか?本稿ではこの奇妙な謎に迫りたいと思います。

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 今年最後の投稿、どうぞお楽しみ下さい。

 

■クリスマスはイエスの誕生日か

 クリスマスがイエスの誕生日ではないと考えられる第一の理由は聖書にあります。新約聖書キリスト教の教典ですから、これ以上絶対的なソースはないと言えるでしょう。

 これより引用するのは、イエスが誕生して間もなく、天使が降臨して人々に「救世主が生まれたから喜びな」と伝えるというシーンです。

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さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

 

ルカの福音書 2.8-12

 注目すべきは「この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。」という部分です。「この土地」というのはイエスの生誕された「ベツレヘム」という町です。

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 ベツレヘムは地中海性気候に属しており、冬になると寒くなります。f:id:miyukiyasmaro:20191228172959j:image

 その為、この土地において冬に羊を放牧するとは考えられないと指摘されているのです。

 従って、このシーンが十二月二十五日及びその直後と仮定する、即ちイエスの誕生日が十二月二十五日と考えるのは難しいと言えます。

 

 そうすると、イエスの本当の誕生日はいつなのかということが気になります。しかし、それはわたしたちが知ることは絶対に不可能だし、イエス御本人すら存じられておられないということが言えるでしょう

 なぜなら、イエスの誕生日は誰も記録していないからです。当時中東の庶民の間では、人の命日は記録されましたが、誕生日を記録するという習慣はありませんでした。貴族などの間ではそうしたこともあったようですが、イエスは極普通の家庭でお生まれになったわけです。

 そういうわけで、そもそも「イエスの誕生日は何月何日だ」と明言すること自体が不可能なのです。

 

■クリスマスの正体を暴け!

 それでは、十二月二十五日とは何なのでしょうか。なぜイエスの誕生日は十二月二十五日という常識が広まるに至ったのでしょうか。

 その鍵が「冬至」です。かつて、十二月二十五日は一部の地域で冬至とされていました。冬至とは、一年の内で昼が一番短い日です。言い換えれば、太陽が一番弱い日です。「太陽が一番弱い日」、これは逆に言えば「太陽の衰退が底を打ち、そこからはひたすら栄えていく日」ということが言えるわけです。

 では、もし太陽を崇拝する宗教があれば、冬至はどんな日として捉えられるでしょうか?

 太陽を神聖なものや神として崇拝する教え(以下「太陽崇拝」とします)は多くの地域に存在しました。それらの太陽崇拝の多くは12月25日を祭りの日としたわけです。f:id:miyukiyasmaro:20191228165556j:image

 ローマの「ミトラ教」もその一つ。かつてローマではミトラ教という信仰が根づいていました。ミトラ教は十二月二十五日を祭日にし、それはローマの人々の生活に定着していました。

ローマ帝国時代、12月25日(冬至)にはナタリス・インウィクティと呼ばれる祭典があった。この祭典は、ソル・インウィクトゥス(不敗の太陽神)の誕生祭るものである。このソル・インウィクトゥスとミトラスの関係をミトラス教徒がどう考えていたかは、当時の碑文から明白である。碑文には「ソル・インウィクトゥス・ミトラス」と記されており、ミトラス教徒にとってはミトラスがソル・インウィクトゥスであった。

Wikipedia

 そこへキリスト教が進出していくことになります。当初、キリスト教は異端の教えとして政府から弾圧されていましたが、やがてその勢いは押さえきれないほど強大になり、ローマはキリスト教の中心地となります。

 ここで、キリスト教の教会側の視点に立って考えてみましょう。ミトラ教が根づいていた地域であるローマで、キリスト教を円滑に運営していくにはどうすればいいかということを。ローマ人に抵抗のない形でキリスト教を広める為には、どのような戦略が考えられるかということを。

 ここで十二月二十五日が利用されたのではないでしょうか?

 ミトラス教の祭日を、救世主の誕生を祝う日として設定すれば、ローマ人にキリスト教が広まるのではないか。そうした策略があったのではないでしょうか。

 実に、「クリスマス」が生まれたのはちょうどこの辺りの時期です。

 その為、多くの学者は以上の説を唱えています。

 

■あとがき

 そういうわけで、クリスマスはイエスの誕生日ではないのですが、だからどうしたと聞かれると困ったものです。

 まあ、誰かが「クリスマスはキリスト様の誕生日だよね」などとを言った際、「いや実はそれはミトラ教の祭日なんだよ。あと厳密にいうとキリスト様じゃなくてイエス様だよ。キリストは救世主って意味だからイエス単体を指さないよ。どう、僕物知りでしょ」と言えるようにはなります。その際はどうか嫌われないようにご注意下さい。

 それとも、あえて教訓めいたものを見出だすとしたら、「常識を疑おう」とでも言っておきましょうか。思えばわたしのブログも、大体は常識への挑戦であったと言えます。そう考えると本稿は今年最後の投稿としてふさわしいものかもしれません。

 

 さて、筆者は近頃色々あって、精神的に少し不安定なので、来週の投稿はお休みさせて頂きます。最近休みをとったばかりですが、申し訳ございません。

 いつもお読み頂いている皆様。今年はこのようなブログにお付き合い下さりまして本当にありがとうございました。また、本稿で始めてお読みになるという方も、お読み頂きありがとうございます。みんな大好きです。

 それでは、


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