「左翼」「右翼」って何?
政治の議論をするおっちゃんが、しばしば口に出す言葉が「右翼」と「左翼」です。政治に明るくない方もこれらの単語はお聞きになったことがあるかもしれません。
「天皇って偉いよねえ」
と言うと、
「お前右翼かよ」
と高確率で言われます。
「俺、何か安倍さん嫌いだわ」
と言うと、
「お前左翼かよ」
と高確率で言われます。
一体、何が右翼で何が左翼なのでしょうか?
本稿ではそれを解説して参ります。
因みに、本稿ではわたしは右翼や左翼を肯定したり、否定したりしません。
■要するにこういうこと
結論から申し上げます。右翼はどちらかと言うと「公」を意識し、左翼はどちらかと言うと「個」を意識する人たちのことです。
「公」とはざっくり言うと「みんな」のことです。現在生存している日本人はもちろん全て「みんな」に含まれます。のみならず、遥かな祖先の日本人も「みんな」に含まれます。場合によると、未来に産まれてくるであろう子孫たちも「みんな」に含まれる場合があります。
というわけで、右翼とはそういう、ちょっと漠然とした「みんな」を意識して物事を考える人たちなのです。
ここで右翼について多くの人が抱いているであろうイメージをテキトーに列挙してみましょう。
一、「天皇陛下万歳」とか言う奴ら
二、軍オタ(軍事オタク)な奴ら
三、韓国とか中国が嫌いな奴ら
四、原発に反対したら怒る奴ら
念を押しておきますが、飽くまでテキトーなので「右翼とはこういう人です」というものではありません。
これらを公に着目して考えると、何が右翼なのかが明らかに見えて行きます。
例えば一、「天皇陛下万歳」とか言うやつら。
天皇陛下を始めとする皇室の歴史は、わたしたちの祖先を受け継いで来た日本の物語です。天皇陛下は我々の代表となって神様にお祈りしておられます。彼らはそういう「日本」を子孫たちに伝えていきたいのです。このように、「天皇陛下万歳」という言葉には、祖先、現在のわたしたち、子孫という全ての「みんな」が込められております。
二、軍オタなやつら。
軍隊は国を守る存在です。国とは祖先たちの伝統を背景に、我々が暮らし、子孫たちの未来が眠る場所ですから、これも全ての「みんな」を網羅した「公」そのものです。その「公そのもの」たる国、日本を守る為に、文字通り命賭けで戦ったのがかつての大日本帝国軍で、現在この瞬間も日本を守っているのが自衛隊です。帝国軍や自衛隊の方々は公の為に命をはった、もしくははっているわけですから、右翼は必ずといって良いほど彼らを尊敬するのです。
三、韓国とか中国が嫌いな奴ら
「韓国人や中国人は反日」という偏見が広くなされています。偏見とは言え、一部の韓国、中国の方は確かに反日を叫んでいたりします。彼らの反日は、日本の歴史の汚点を唱えたり、現在の日本を非難するものです。当然、右翼はこれを聞き捨てることはできません。
四、原発に反対したら怒る奴ら
これについて例外で、右翼という思想とは本来関係のない話です。
右翼には自民党や安倍さんを支持する方が多くいらっしゃいます。その自民党や安倍さんは原発を推進しようとしています。これがよく批判されるので、彼らはよく「原発反対派=敵」という具合に思考停止してしまっているのです。
従って「右翼は原発に反対したら怒る」というより、「自民支持者は原発に反対したら怒る」とした方が正確です。
このように、公を意識して物事を考える人々を右翼といいます。
先述の通り、これに対して左翼は個を意識して物事を考える人々です。公は形などが想像できない、ちょっと漠然とした概念ですが、個はかなり具体的に想像することができます。例えばあなたは個です。また、わたしも個です。つまり、人間一人一人のことです。
ではここで左翼に関するイメージをテキトーに列挙してみましょう。
一、共産主義者
二、原発反対
三、戦争反対
四、移民賛成
もう一度強調しておきますが、飽くまでイメージをテキトーに列挙したものです。「左翼とはこういう人ですよ」というものではありません。
一、共産主義者
共産主義とは、政府が経済を完全に管理する仕組みです。お金も仕事も政府が平等に、国民一人一人に漏れなく分け与えます。なぜそのようなことをするのかというと、従来の社会が不平等だったからです。自力で成功できる強い人は豊かになれますが、世の中にはそうでない人もいます。このような弱い立場の「個」に着目したのが共産主義の始まりと言えるのでしょう。
二、原発反対
原発を進めると、原発の近くに住む人々の生活が脅かされることになります。この人々も勿論「個」です。
三、戦争反対
戦争が始まれば、たくさんの「個」が苦痛を強いられることになります。
四、移民賛成
右翼の立場から見ると、日本人と外国人は背景とする歴史、文化、つまり「公」の面で大きく違います。けれども左翼にはそれがいまいちピンとこない方が多く、「日本人も外国人も同じじゃないか」という考える場合が多分に見られるのです。
このように「公」「個」に着目すると、右翼、左翼が何を指すのか何となく明らかになるのでしょうか。
■保守とリベラル
右翼とほぼ同じ意味で「保守」という言葉があります。左翼もかつては「革新」と呼ばれ、現在は「リベラル」という言葉に言い換えられています。
おおよその議論では「右翼=保守」「左翼=リベラル」という認識が通用すると考えて良いでしょう。
なぜこのようになるのでしょうか。
まずは左翼について考えてみましょう。前述の通り、左翼は個を意識する考え方です。かつて民という個たちは権力によって支配されていました。しかしいつしか民は自由や権利などに目覚め、個が尊重されるように蜂起し始めたのです。
「個が尊重されるように」するには、既存の権力を破壊し、革新しなくてはなりません。その為、初期の左翼は必然的に何かを革新していくことになったのです。これが「左翼=革新」の所以です。
しかし、そうした革新が進むにつれて、いつしか古くから持っていた価値観や文化、精神までもが失われていくことになったのです。この反動として、「左翼たちは破壊ばかりにとらわれ、公を忘れているのではないか。変えてはならないものを変えたり、忘れてはならないものを忘れているのではないか」そうした主張をする右翼が表れていきます。左翼による破壊が進むこの時代、公が大事だと言うのなら、必然的にそれが破壊されるのを保守しなければならない。これが「右翼=保守」の所以です。
その代表的な人物がオルテガという思想家で、西洋ににおける保守の源流と呼ばれています。
さて、ある程度破壊が進み、民主主義というものが普及していくと、左翼の勢いは落ち着いていきます。それから各々の地域の思想は、時代に左右されながら(右翼、左翼だけに)動いていくことになったのです。
ここで日本を注目していきましょう。日本は先の戦争でアメリカに敗れ、占領されると、様々な政策によって公が毀損させられます。間もなく「戦時中は地獄のような時代で、政府によって人権が踏みにじられたのだ。個を尊重しよう!」という動き、即ち左翼=革新の動きが盛り上がります。この動きはやがて多くの若者を熱狂させ、共産主義へ導きました。
しかし、ソビエト連邦という巨大な社会主義国家(共産主義に基づいた国家)が崩壊すると、その熱は一気に冷え込んでいきます。
さて、資本主義が正しく、共産主義へと革新させる必要のないことが常識となったのですから、これ以上特に大きく革新すべきことはなくなってしまいました。そこで彼らは革新という名前を捨て、新しい名前が必要となったのです。
そうして彼らは「リベラル」と名乗ることになりました。リベラルとは寛容という意味です。多数派や過去の価値観といった「公」にそぐわなかった個の意思に対し、我々は見捨てるのではなく寛容に受け入れるのだ、ということを示したのです。
リベラルによって救われた方もおられるかもしれませんが、一方でそれが病理をもたしたという見方も確かにあります。
公が消えることで、若者は「誰にも迷惑を掛けないなら俺の勝手だろ」と叫ぶようになり、非行、売春、学級崩壊などが社会問題となりました。
こうしたことに怒る右翼(保守)と、権利の解放を訴え続ける左翼(リベラル)との間で、今日も激しい衝突が起こっています。
■右翼と左翼は真逆?
一般に右翼と左翼は真逆の考え方なので仲が悪いという印象があります。実際、右翼を名乗る人と左翼を名乗る人とは意見が対立する場合が多いです。
しかし、わたしはその状況に疑問を感じています。右翼と左翼は本来対立せざるを得ないものなのだろうかと思うのです。
右翼は公を意識し、左翼は個を意識すると書きました。しかしそれは突き詰めれば、結局は同じことではないでしょうか。
わたしたち日本人が受け継いだ「公」が大事だというなら、我々の祖先が納得し、国全体が豊かでなければならないはずです。
個が蔑ろにされる国の在り方を先人がお許しになるはずはありません。また、一つ一つの個が弱っていけば、国全体も長期的には絶対に衰退していきます。公を保守する為には、個を保守しなくてはならないのです。
また、わたしたち一つ一つの「個」が大事だというのなら、彼らは孤立してはいけない。強い者だけが生き残り、弱い者は淘汰される世の中であってはいけないはずです。その為に「公」はあります。それは単に社会保障などの話だけではありません。先人が受け継いできた文化や価値観も個にとっては重要です。
ある社会学者は、カトリック(古いキリスト教)が住む地域はプロテスタント(新しいキリスト教)が住む地域よりも自殺率が低い傾向にあることを明らかにしました。これは、カトリックの価値観が信者に結び付きを義務付ける向きが強い為と指摘されています。だからといってカトリックがプロテスタントよりも正しいというつもりはありませんが、ともかく文化や価値観は個の幸福に関わるのです。
右翼と左翼は、物事を考える入り口が違うだけです。入り口が違っていても、その道は同じ結論に繋がっているかもしれないのです。道は多岐に別れているので、右翼であっても左翼であっても、様々な結論に至ることができるでしょう。
つまり右翼・左翼同士で違う結論に至ることも有り得るし、右翼と左翼が同じ結論を共有することもあり得ると思うのです。
しかし現実には、右翼か左翼だけで、どの政策に賛成し、どの政策に反対しているかが大体見当がついてしまっているのです。
これは右翼や左翼が群れと化してしまっているからではないでしょうか。彼らは自分の属する群れの論調をそのまま飲み込み、それに少しでもそぐわないものを批判する習性を持ってしまっているのです。群れに忠実である限り、群れの仲間からは常に自分の考えを肯定してもらえます。自分の考え方を決めるのも、議論(と呼ばれる行為)を行うのも頭を使わなくても良いわけです。なるほど楽でしょう。しかしそんなことで真実は明らかになりません。
この国の公、そして一つ一つの個を救う為には、右翼や左翼に分かれて対立するべきではありません。政治を論じる者、のみならず人間は、何が正しいのか、何を受け入れてはいけないのかを、他ならぬ自分の頭と心で考えなくてはなりません。これこそが自由、そして名誉です。
ここで、ある二人の人物を皆様にご紹介して本稿を締めくくりたいと思います。
一人は頭山満。日本における右翼(保守)の源流と呼ばれる人物です。日本を中心にしてアジアを西洋から解放させるという思想の元に、「玄洋社」という結社を率いて日本の政治を裏から動かしました。彼は無位無官でありながら、日本の政界のみならず、アジア中の独立運動に影響を与えました。
もう一人は中江兆民。日本における左翼の源流と呼ばれる人物です。彼は言葉の力によって、日本人を自由や人権、民主主義に目覚めさせました。ルソーの「社会契約説」という本を日本に伝えたのは代表的な功績で、他にも「自由党」の旗揚げに関わり、その機関誌「自由新聞」の社説を書いたり、「日本出版会社」を設立するなどしています。彼の残した言葉は多くの人物に影響を与え、後の時代を形作っていくことになります。
興味深いのは、右翼の源流と呼ばれる頭山満と、左翼の源流と呼ばれる中江兆民が友人で、極めて親しかったということです。
人民の権利を固守すべし
中江兆民は次のような言葉を残しています。
天子(天皇陛下のこと)様の尊きことはこの上ないことで、我々平民や政府が云々言えるものではない。天子様は政府方、人民方のどちらでもなく、国民の頭上にましまして、その尊いことは神様も同然である。
※()内は筆者による
頭山満は個を尊重し、中江兆民は公を尊重していたのです。その為、彼らが親しかったのは不思議なことではなかったと言えるでしょう。
右か左かで対立するのではなく、理性のある態度を以て議論が進むような時代を心より求めます。その時には、政治の議論は息苦しいものではなく、楽しいものになるのではないでしょうか。
長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
君のこれまでを
いっぺんに語ることができる
名前なんてそうそうないよな
だからどんな風に呼ばれようと
好きにやるべきだと思うよ
君を語る名前が何であろうと
君の行動一つほどには
雄弁じゃない
amazarashi 「名前」 より
完