僕の名は靖麻呂

高校生 政治厨 軽度の神経衰弱

駄文 「明るい接客」

 ほんの愚痴なのだが、大学の費用を稼ぐ為に、筆者は数ヶ月前、カラオケ店でアルバイトをしていた。そこで渡されたのが「明るい接客マニュアル」で、概するに「明るい接客とは、つまり歯を出して笑い、大きな声を出すことである」と書いてある。

 僕は極めて陰気な人間で、大きな声を出せない。そして歯を出すこともなかなか難しい。無理矢理やると、上下両方の唇が歪な形になった。次いでに歯並びも悪いから、とても人をいい気分にするようなものではなかった。

 こういう「明るい接客」ができないまま、筆者は結局辞職した。理由は色々とあるが、思い出したくない。

 今でも、筆者はたまにこの仇敵である「明るい接客」について考えたりする。果たして陰気な自分が全く悪かったのか、それとも「明るい接客」にも何らかの欠陥があったのかという具合に。

 大きな声、歯を出して笑う、これらは店内の雰囲気を明るくして、お客様に元気を出してもらう為に採用されている。もしその期待の通りの効果を及ぼしているなら、「明るい接客」は正しかったということなのだろう。

 しかし、本当にそれでお客様は元気になるのだろうか。

 大きな声を嫌がる人が、果たしていないだろうか。いたとして、それがカラオケ店なんぞに来ないだろうという反論があるかもしれないが、例えば気分よく歌っている時に、飲み物食べ物を提供しに来た店員が大きな声で商品の名前を叫んだら、どう思うだろうか。

 また、失恋の歌とか、怒りや悲しみの込められたamazarashiとかの歌を歌っている時に、そういうことをされたらどう思うだろうか。

 歯を出した笑いが似合わない人だっているだろう。歯を出さない笑いが似合う人だっているだろう。こないだよく歯を出して笑う中年のおじさんと話して息が臭かったのを覚えているが、もしおじさんが歯を出さない人だったらそうじゃなかったかもしれない。歯が乾燥すると口臭の原因になるという話をどこかで聞いた。

 真珠の耳飾りの少女が歯を出して笑っていたなら、あの絵はあんなに美しく見えなかったかもしれない。

 モナリザの女性が歯を出して笑っていたなら、吉良吉影は一目惚れしなかったかもしれない。

 イエス肖像画で彼が歯を出して笑っていたなら、僕は彼のことをちょっと胡散臭く感じたかもしれない。

 僕の悩みを聞いてくれた担任の先生は歯を出して笑っていなかった。どちらかというと小さい声で僕を肯定してくれた。けれどもとても安心した。

 よく会うバスの運転手さんは歯を出して笑っていなかった。どちらかというと小さめの声で「ありがとうございます」と言ってくれた。夜中降りる時は「お疲れ様です」と言ってくれた。僕は、それでほんの少しだけ明るくなれた気がした。

 明るい気持ちというのは、どこから来るのだろうか。

 それは資本の力で大量生産できるものなのだろうか。

 生産する方法があるものなのだろうか。

 あるとしたら、それを数ページのマニュアルにまとめることができるのか。

 その方法で元気にならなかった者がいたら、そいつが陰気で根暗であることに問題があるのか。

 その方法で元気にならなかった者は、社会に適合できない屑なのか。

 僕は陰気で根暗で社会に適合できない屑であるから、文句を言う資格はないのだろうか。

 頭が痛くなってきたので、ここで筆を置く。