僕の名は靖麻呂

高校生 政治厨 軽度の神経衰弱

平和の自由研究(上)


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靖國神社。黒船来航以来、戦争や事変で亡くなった全ての軍人の魂を祀っています)

 

 七十四年前の八月十五日、昭和天皇による玉音放送をもって先の戦争が終結したのは皆様もご存知でしょう。ですから毎年この日は、テレビなどで戦争の特集をします。戦争の悲惨さを伝えます。そして今上陛下と我々国民は亡くなった方々に祈祷し、平和が続くよう深く願います。

 しかし、わたしは毎年疑問に思うのです。我々はそこで満足してしまっているのではないかと。そこで満足してしまって良いのかと。

 確かに戦争は悲惨です。いつまでも戦争の悲惨さを伝え続けなくてはなりません。亡くなった方を想うことも大事です。平和を祈ることも人間として大事です。大事ではありますが、それだけでは平和という理想は実現し得ないと思うのです。

 理想とは、現実を踏まえた努力があってはじめて実現するものです。

 つまり我々は、戦争の悲惨さを学び、亡くなった方への祈祷をした上で、どのようにすれば平和を築き、守ることができるかを考えるべきです。かく言うわたしも、平和については深く勉強したわけではなく、生意気なことを言えた身分ではありません。

 ですから本稿において、わたしは平和について自分なりに考えてみることにしました。

 

■そもそも平和とは何か
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「平和とか何か」という問いに対して、多くの人は「戦争の対義語」であるとか「戦争のない状態」と答えるでしょう。わたしはまず、この認識こそ改めるべきだと考えます。戦争のない状態が、必ずしも平和であるとは限りません。

 仮に現在、北朝鮮が今まさに日本に向けて、ミサイルを発射しようとしているところだとしましょう。今まさにミサイルにガソリンが注入され、残り数分で日本の領土が攻撃されようとしているところだとしましょう。そして日本は、このミサイルを打たんとする基地を爆撃し、発射を阻止する能力があるとしましょう。

「平和=戦争の反対」という考えに従えば、我々が北朝鮮の攻撃を阻止すると平和ではなくなります。一方、北朝鮮の攻撃を許して多くの国民を犠牲にすれば、平和は守られるわけです。しかし、わたしはそんな平和を望まないし、ほとんどの人もそうだと思います。わたし達が希望する平和において、たくさんの人が殺されてしまうなんてことはあってはならないのです。

 小林よしのりという漫画家がこのように仰有ったことがあります。「平和の反対は混乱、戦争の反対は対話」であると。戦争のあるなしに関わらず、混乱のない状態こそ平和なのです。

 だからこそ、平和は難しいのです。人類は時に混乱と戦争のどちらかの選択を強いられるのです。その時はどちらにしても、平和は失われるのです。

 

 そうすると、武器を手放し、戦争を絶対に放棄という考え(これを「絶対的平和主義」と言います)では平和の実現は困難だと思われます。武器がないのをいいことに、他国が日本を侵略すればそこに平和はありません。

 

■力の均衡

 平和は力の均衡(きんこう バランスのこと)によって成り立つという考えがあります。例えば、ジャイアンは強大な体躯(たいく)を有しているので喧嘩が得意です。それに対して、のび太君は運動が極端に苦手な子です。この場合、ジャイアンのび太の間における力の均衡は完全に崩壊しております。のび太に対してジャイアンが過剰に力を持っているのです。そうすると何が起こるか、


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 一方的な侵略です。

 このように、平和を成立させる為には、力の均衡が重要なのです。

 

 この理論に従って、わたしはかつてこんな考えを思いつきました。

 全ての国々が核武装すれば、力の均衡が世界に成立する。戦争がなくなるだけではなく、発展途上国も、新興国も、先進国と対等な関係に立てる。ハレルヤ!

 我ながら少し過激な考えかもしれませんが、果たして理にかなっているのでしょうか。

 

■理性
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 力の均衡は平和の最低条件だと考えます。とは言え、力の均衡さえ保たれていれば平和が成立するとも言えません。

「我が国と相手の国は力が均衡している。もし戦争すればこちら側も大損害を被る。だから戦争はやめておこう」

 力の均衡による平和は、このように判断する「理性」を前提としています。

 しかし、現実には全ての国に理性が備わっているとは言い切れないものです。無謀にも他国に侵略したり攻撃するような国があるかもしれません。従って、力の均衡は重要ではありますが、平和の全てではないのです。

 

 さて、前節にて紹介した「世界中に核武装を」という過激な意見でしたが、これについて再考してみましょう。

 もし世界中の核武装を進めると、幾つかの「理性なき核武装国家」が誕生するかもしれない。もしその国が無謀な核攻撃を始めたら、被害を受けた国は核で復讐する。そうして恐ろしい核戦争が始まる。なるほど、平和ではないですね。

 一方、万が一、世界の国家196ヶ国全てに理性が備わっていたとしましょう。この場合は戦争のない状態が暫く訪れます。しかし、ある国にて狂暴な政権が誕生すれば「理性なき核武装国家」が誕生します。また、ある国にて過激なテロリストによる政府転覆が起これば「理性なき核武装国家」が誕生します。

 このように、「核が平和をもたらす」という知見は困難のようです。

 

 どうでしょう。平和とは複雑なものだと思いませんでしょうか。もし平和実現への画期的なアイデアとか、平和について思うこと、あるいは「三幸君、そりゃあ間違えてるぜ」といったことなどがあれば是非コメント下さい。

 次回は、戦争が起こる恐ろしい原因について述べる予定です。最後までお読み頂きありがとうございました。

 

■附録
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・中学時代の三幸が描いた靖国神社

 色使いが微妙だったり線が歪だったりはしておりますが、気に入っている作品です。靖国の静謐なる空気と英霊の温みが、感じられませんでしょうか。さて、これぞ文字通りの自画自賛でございます。

 学校名と本名を隠しておりますから心配はいらないとは思いますが、くれぐれもわたしの正体を特定しようなどと試みないで下さるようお願い申し上げます。

 

 

続く